見えない気をイメージするなら
気とは生命エネルギーのことを言います。
けれども見たこともない物をイメージするのは難しいですよね
そこで私はよく気のイメージを乾電池にたとえて伝えています。
例えば単一電池が1つの場合電気製品がどのぐらい使えるかをイメージしてください。
そして次の種類の電池だったときはどうでしょうか順番に想像してみてください。
1)アルカリ単1電池
2)マンガン単4電池
3)充電式電池パック
いかがですか!どんなイメージが想像出来ましたか?
やっぱり2番だとあっという間に消耗・・・
気絶ですね(;^ω^)
でも3番なら携帯電話みたいに充電さえ気を付ければずっと元気でサクサク使えるような気がしませんか!!
気が無くなったらどうなるの?
それは気が絶えている「気絶」した状態といえます。
じつは以前に突然気を失ってしまった男の子を目撃したことがあります。
それは私中学生時代のことで、校庭に生徒が整列して先生方の話を聞く前校朝礼があったのですが、ある時私の斜め前にいた男子生徒が突然、倒れ悲鳴をあげて流血していました。
この時の彼は直立したまま意識を失ってしまったので、無防備なまま勢いよく地面に頭を強打して、ぶつかった衝撃と痛みで意識を取戻したとたんに激しい痛みに襲われたのです。
彼の場合はリミッターがゼロになるまで直立で我慢して、身を守ることも出来ず本当に直立不動で倒れてしまったのでしょう。
一生分の元気エネルギーを持って生まれてくる
またこの生命エネルギーをどうやって使っていくかは誰でも自由です。
気とは生命エネルギーのことです。
そして人は一生で使う分の生命エネルギーを持って生まれてきます。
仕事や遊び、楽しみや悲しみ、私たちの行動や感動全ての場面で気を使っています。
もちろん病気や体調不良を治そうとする時にもたくさんの気を使います。
もしそのエネルギーを使い切った時が命の終りが来てしまうのでしょうか・・・
自分で気の充電が出来たらいつも元気
持って生まれた気の容量は個人差はありると考えられます。
けれども、この生命エネルギーは電池パックのように充電し続ければいつも元気でいられるのです。
例えば私たちは毎日食事をして空気を吸って睡眠とり、息を吐きトイレに行く
大自然が作り出す環境などからもエネルギーを頂いています。
また人と出会い喜んだり、悲しんだりの感動が心のメーターを左右します。
こういったなんでもないと思う日常生活の中で、気の充電と消費を続けています。
この充電と消費こそ気の循環です。
もちろん気功の鍛錬を続ければ、生命エネルギーの充電は思いのままに出来るようになりでしょう!
でも実は普通の生活でも、気功に気付き気功的な想像力をもって生活することでも、自分で気の充電が出来るようになるんですよ!
見えないけれど、とっても身近で、何でもない普通の生活だけど
自分で元気力の充電が出来る気功的な生活についてはまたレポートを作っていきますね。